パニック障害(不眠症、動悸)

パニック障害(不眠症、動悸)

薬に頼らずパニック障害に苦しまなくなった!

30代女性
来院に至った経緯
社会人になって10年ちょっと経ったある日、会社の上司から呼び出されて大きなプロジェクトのリーダーになってほしいと要望があった。当時はとても嬉しくて、頑張ってきたものが実ったという実感が湧いた。

プロジェクトは会社の外部の人とも連携するようなもので、そのリーダーを任されたことに躍起になって仕事をした。睡眠時間も大幅に削り、約6か月間もの間、昼夜関係なく仕事に没頭した。結果としてプロジェクトは大成功して会社からも大きな評価をもらえた。

プロジェクトが終わって、1週間ほど経ったころ、布団に入っても眠れないことに気づいた。それまでは毎日のように3時間睡眠を続けるようなスケジュールで動いていたため、自分がいつから眠れないようになっていたのか分からなかったが、少なくとも布団に入って3~4時間は眠れないような日が続いていた。

病院へ行くと不眠症だと診断され、まずは軽めの睡眠導入剤で様子を見ましょうと言われた。睡眠導入剤は飲んでも飲まなくても、ほとんど睡眠の質に変化はなかった。病院で相談すると強めの睡眠薬を処方されて、なんとか眠れるようになった。

不眠症になってから1か月ほど経った頃、仕事中に名前を呼ばれたり、肩をポンポンと叩かれたりするとビクッと過剰に反応するようになってしまった。自分でも制御できなくて、酷いときは会社の廊下で名前を呼ばれただけで、「うわっ」と声を出して驚いてしまうようになった。

そんな自分に気づいてからというもの、電車に乗ると心臓がバクバクして動悸がするようになった。これは絶対に体に何か起きていると思い、病院へ行って精密検査を受けた。脳や心臓の精密検査を受けたが異常なしで、最終的にパニック障害だと診断された。

さすがに無理をし過ぎたのかと反省したが、プロジェクトに成功したため、社内でも重要な仕事を任されることが多くなり休んでいる場合ではなかった。パニック障害の症状は日に日に強くなっているように感じていたが、これ以上薬に頼りたくなかったので自分でなんとかするしかないと決意した。

元々、仕事でSNSを使う頻度が多かったため、以前からYoutubeで塩川満章先生という凄い人がいるということは知っていた。塩川先生のクリニックに問い合わせてみると、塩川先生は新規の予約はストップしていると言われてしまった。

神奈川県内に塩川先生のお弟子さんはいないかと尋ねると、藤沢駅前に副院長だった前田先生が開院されていると教えてもらった。横浜からなら近いし、副院長をしていた先生なら大丈夫だろうと思い、当院に来院された。


【神奈川県横浜市西区から来院】
初診の状態
  • 01

    右仙腸関節の明らかな可動域制限

  • 02

    左後頭部の強い浮腫感

  • 03

    左後頭骨の明らかな可動域制限

経過と内容
初診時の状態では、右の仙腸関節と左後頭骨には明らかな可動域制限があった。体表温度検査では、上部頸椎と骨盤部に明らかに左右の温度の誤差が確認された。また左後頭部と右仙骨翼に強い浮腫が確認され、左後頭部と腰部起立筋は過緊張の状態であった。

レントゲン評価では、腰の椎間板の段階は慢性的なD6レベルで重度の骨盤の傾きや過前弯で反り腰が確認された。首の椎間板の段階はそれほど慢性的なところは確認されなかったが、首の前弯カーブ(前カーブ)は消失してストレートネックとなっていた。

初期集中期の段階では週3回のケアを提示したが、仕事の関係で週2回のケアから開始した。

4週目(8回目のアジャストメント)には、電車に乗っても動悸があまりしなくなってきた。また睡眠の質が良くなったように感じたので、試しに睡眠薬をやめてみると、寝入りは時間が掛かったが、以前のように3~4時間も眠れないということはなく、1時間ほどで眠れるようになった。この段階でケアのペースを1週間に一度に広げることができた。

8週目(12回目のアジャストメント)には、睡眠薬を飲まなくても布団に入って1時間以内には眠れるようになった。また睡眠の質が良くなったのか、早く眠れるようになり単純に睡眠時間が伸びたからか寝起きはスッキリとするようになった。この頃から、アジャストメントを受けても、あまり驚かなくなってきた。以前はアジャストメントのたびに、「うわっ」と大声が出てしまっていたが、それも落ち着いてきた。

12週目(16回目のアジャストメント)には、仕事をしていて人から呼ばれても特に驚くことはなくなった。驚くことが分かっているので、仕事中に肩を叩かれるとかはなくなっていたが、試しに同僚にどこかのタイミングで肩を叩いて読んでみてとお願いしてやってもらうと、ふいに肩を叩かれたときでもそれほど驚かなくなっていた。この段階でケアのペースを2週間に一度に広げることができた。

18週目(19回目のアジャストメント)には、以前のように仕事に集中できるようになりパニック障害の症状はほとんど気にならなくなった。動悸も気づけば長いこと出なくなり、乗り物にも普通に乗れるようになった。

現在は、ほとんどの症状が落ち着いたが、身体のメンテナンスとして定期的なカイロプラクティックケアを続けている。

考察
今回のパニック障害は、自律神経の乱れが最大の原因であったと考えられる。特に着目したいのは交感神経が過剰に働いていたということである。

自律神経には交感神経と副交感神経の2つがある。交感神経は日中活動するときに働く神経となる。副交感神経は夜休まるときに働く神経になる。検査では上部頸椎と骨盤部に強い反応が確認された。どちらも副交感神経支配の部位になるが、副交感神経支配にサブラクセーション(根本原因)があることで、交感神経が過剰に働いてしまう。

交感神経が過剰になると、さまざまなものに過敏に反応してしまう。交感神経とは、「とうそう」の神経となる。「とうそう」とは、戦う「闘争」と逃げる「逃走」である。人間が狩りをしていた時代、闘争(狩り)によって食物を得る、あるいは強敵と出くわした時に逃走する、これが交感神経の働きとなる。

交感神経が過敏になっていることで、人から名前を呼ばれたり、肩をポンポンと叩かれただけでビクッとしてしまうなど、過剰に反応してしまうような状態になっていたと考えられる。パニック障害とは、脳内ホルモンであるノルアドレナリンやセロトニンのバランスを乱した状態である。

ノルアドレナリンは、激しい感情や強い肉体作業などで人体がストレスを感じたときに、交感神経の情報伝達物質として放出される、あるいは副腎髄質からホルモンとして放出される物質となる。ノルアドレナリンが交感神経の情報伝達物質として放出されると、交感神経の活動が高まる。

セロトニンは、必須アミノ酸トリプトファンから生合成される脳内の神経伝達物質になる。 脳の視床下部や大脳基底核、延髄の縫線核などに高濃度に分布している。他の神経伝達物質であるドパミン(喜び、快楽など)やノルアドレナリン(恐怖、驚きなど)などの情報をコントロールし、精神を安定させる働きがある。

これらの神経伝達物質のバランスが乱れる原因が、自律神経の乱れとなる。不眠症や動悸なども交感神経が過剰に働くことで、体が常に過緊張の状態であったのだろう。副交感神経が上手く機能せず、休まるスイッチが入れられずに不眠症を発症していたと考えられる。動悸も交感神経が過剰に働くことで、血圧や心拍数が高まり、動悸を発症していたと考えられる。

アジャストメントによりサブラクセーション(根本原因)が取り除かれ、自律神経のバランスが整った結果、神経伝達物質も正常に分泌されることでパニック障害の改善に繋がったのだろう。どのような症状であったとしても、検査によって根本原因である神経系を特定し、神経の流れを整えて体の情報を脳へ届けることの重要性が確認できる症例である。
パニック障害(不眠症、動悸)
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前田 一真

執筆者前田 一真

神奈川県藤沢市出身。1972年に塩川満章D.C.が開院した銀座の塩川カイロプラクティック治療室に内弟子として入る。塩川満章D.C.と塩川雅士D.C.に師事し、副院長まで務める。また日本で最も歴史あるカイロプラクティック学校シオカワスクールでは現役講師を務めており、後任の育成にも力を入れている。2023年5月に地元である藤沢の地で、カイロプラクティックの最前線である塩川カイロプラクティック治療室で学んだ本物のカイロプラクティックを提供する院を実現するため、【前田カイロプラクティック藤沢院】を開院。

笑顔溢れ、心豊かに、幸せな毎日をサポートできるようにカイロプラクターとして尽力している。またシオカワグループの一員として、感謝・感動・希望に溢れる社会を目指している。

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