ランニング中の坐骨神経痛のような右お尻の痛みと右脚全体の痺れ

ランニング中の坐骨神経痛のような右お尻の痛みと右脚全体の痺れ

手術をせずにトレイルランを走れるようになった!

40代男性
来院に至った経緯
中学・高校と陸上部に所属し、種目は主に長距離ランニングを行っていた。時代柄、陸上部は今では考えられないようなハードトレーニングを行っていて、当時所属していた部活もバーベルを担ぎながらのうさぎ跳びでグラウンド1週など無茶なトレーニングをしていた。

それでも学生時代は特にどこも痛めることはなく、高校生活が終わるまで体には違和感なく陸上競技を楽しむことができた。大学では、特にサークルなど入ることはなく、時間が空いたときに自分で軽く走る程度だった。

社会人になりデスクワークの仕事に就いたが、長時間座ってパソコン作業をしている影響か腰回りが重たいなと感じるようになり、次第にハッキリと肩こりや腰痛を感じるようになった。

就職した会社ではマラソン同好会があり、久しぶりに誰かと一緒に走る喜びに触れた。高校生以来、本格的に走ることを再開して、どんどん走る距離が増えていった。

始めはフルマラソン(42.195㎞)に挑戦したが何か物足りなく感じ、ウルトラマラソンで100㎞を走るようになった。走りたい欲がどんどん過熱していき、気づけば自らトレイルランのチームを作って山の中を170㎞走ったりしていた。

休みの日はアップで軽く20~30㎞走るのが当たり前になっていたが、ある日走り始めて5㎞くらいの地点で右お尻が猛烈に突っ張るような激しい痛みが出た。とても走れるような状態ではなくなり、その日は脚を引きずりながら帰宅した。

右お尻から右太もも裏の痛みは数日間続いたため、念のため整形外科を受診すると特に筋肉などには問題はなく、腰椎5番が分離すべり症を起こしていることが原因だと診断された。

普段は何かハードなトレーニングなどしているかと聞かれ、トレイルランで山の中を100㎞以上走っていると伝えると、今すぐ辞めないと将来歩けなくなると言われてしまった。病院の見解では、トレイルランは今すぐ辞めて、分離しているところを手術でボルト固定をするしかないと言われた。

学生時代からどれほどハードにトレーニングをしても、走ることが好きで仕方なかったのに、それをいきなり辞めろと言われ、手術まで勧められたことにショックを隠し切れなかった。

走るのは辞めたくないし、かといって手術はもっと嫌だし、と悩んでいる間に右脚には痺れが出るようになった。なんとか手術をしなくても済むように、整体院や針鍼灸院など代替医療の施設に通ってみたが右脚の症状は変わることはなかった。

病院には手術はしたくないことを伝えてブロック注射を打ってもらったが、病院の先生は「注射は打ってもその場しのぎだから、そろそろ手術をしましょう。」と言われるだけだった。

どうしたものかと悩んでいると、同じトレイルランのチームメイトから「すごい先生を見つけた!走っていると膝が痛かったのが、ここの先生に診てもらったら良くなったから行ってみて!」とカイロプラクティックの先生を紹介された。

それまでカイロプラクティックのイメージはただ骨をボキボキ鳴らすだけで危ないというイメージがあったため最初はあまり乗り気ではなかったが、チームメイトがあまりにも勧めてくるので一度行ってみることにした。

調べてみると日本のカイロプラクティックのパイオニアである塩川満章という人のお弟子さんのようで、確かにこの人なら信頼できそうだなと思った。カイロプラクティックは初めてだったが、ここなら手術をしないでなんとかなるかもしれないという思いでチームメイトからの紹介で当院に来院された。


【神奈川県藤沢市から来院】
初診の状態
  • 01

    右仙腸関節の明らかな可動域制限

  • 02

    腰部起立筋の過緊張

  • 03

    隆椎周辺の強い浮腫感

経過と内容
初診時の状態では、右の仙腸関節には明らかな可動域制限があった。体表温度検査では、上部胸椎と骨盤部に明らかに左右の温度の誤差が確認された。また右上後腸骨棘上端内縁と隆椎周辺に強い浮腫が確認され、腰部起立筋は過緊張の状態であった。

レントゲン評価では、腰の椎間板の段階は慢性的なD4レベルで重度の骨盤の傾きが確認された。また、整形外科で診断されていた通り、分離すべり症が確認された。首の椎間板の段階は慢性的なD4レベルが確認され、首の前弯カーブ(前カーブ)は消失してストレートネックとなっていた。

初期集中期の段階では週2回のケアを提示したが、仕事の関係で週1回のケアから開始した。

3週目(3回目のアジャストメント)には、痛みや痺れはあるものの軽くジョギング程度ならできるようになった。

7週目(7回目のアジャストメント)には、右脚の痺れが軽くなってきて、右お尻の激しいツッパリは感じなくなった。また、仕事中の腰痛もほとんど気にならなくなった。

13週目(13回目のアジャストメント)には、日常生活において右お尻の痛みや右脚の痺れはほとんど感じなくなり、ランニングを本格的に再開した。ただし、10㎞ほど走ると右脚全体が重いと感じていた。

19週目(19回目のアジャストメント)には、フルマラソン(42.195㎞)を走れるまで回復した。また、フルマラソン後でも右脚の症状は出なくなった。この段階でケアのペースを2週間に一度に広げることができた。

31週目(25回目のアジャストメント)には、以前のようにトレイルランで山の中を走れるようになった。130㎞走った翌週に、170km走ったが、それでも右脚に症状が出ることはなかった。また、仕事中に気になっていた肩こりも感じなくなった。

現在は、ほとんどの症状が落ち着いたが、身体のメンテナンスとして定期的なカイロプラクティックケアを続けている。

考察
今回の坐骨神経痛のような右お尻の痛みや右脚の痺れは、右の仙腸関節の可動域制限が原因であったと考えられる。

整形外科では腰椎5番が分離すべり症と診断されていた。レントゲン評価でも、たしかに腰椎5番は分離すべり症が確認された。腰椎分離症は、ハードなウエイトトレーニングなどで瞬間的な力が加わった瞬間に分離してしまう場合もあるが、そのほとんどが疲労骨折となる。

学生時代のハードなトレーニングが分離症を発症させていた可能性もあるが、当時のレントゲンが無いので証明しようがない。ここで着目したいのは、どこで分離症を発症していたのかではなく、分離症=痛みや痺れではないケースが多くみられるという点である。

先に記述した通り、分離症とは疲労骨折であるケースが多い。検査では右の仙腸関節に可動域制限が確認されたが、人間には補正作用があるため、どちらかの仙腸関節の動きが制限されると反対側の仙腸関節は過剰に動いてしまう。

すると日常生活で歩いているだけで腰部に捻じりの動作が加わる。それによって椎骨の棘突起が分離してしまうほどの負担が長年にわたって掛かっていたと考えられる。腰部椎間板の厚みも失われており、6段階中4段階とかなり慢性的だったことからも、かなりの長い年数負担が掛かっていたのだろう。

今回のケースでは右お尻の痛みだけではなく、右脚全体に痺れも出ていたが、痺れは痛みよりも一つ進行している段階となる。人間の痛みの段階は「正常→痛み→痺れ→麻痺」の順番で進行してしまう。

神経はものすごく繊細で、10円玉程度の重さが加わるだけで神経の流れは6割も阻害されてしまうというデータがあるが、神経の流れが6割阻害されても痛みを感じない人がいる。つまり、痛みよりも一つ進行している痺れが出ていたことを考えても、長期間に渡って右脚に伸びる神経に負担が掛かっていたと考えられる。

肩こりは大きく分けて2種類存在する。一つは筋骨格系の乱れから頭部の重さを骨格で支えられなくなり、首肩の筋肉をガチガチに固めてしまうケース。もう一つは、自律神経の乱れから交感神経が過剰に働き過緊張を起こしているケース。

今回のケースでは隆椎周辺に強い浮腫感があったことや、体表温度検査でも上部胸椎に強い反応があったことからも、前者の肩こりだったと考えられる。

分離症でもすべり症でも、それが腰痛や脚の痺れを引き起こしているわけではないケースが多くみられるが、どのような症状でも根本原因が必ず存在する。つまり、それを引き起こしている根本原因を特定する検査力が何よりも不可欠となる。

アジャストメントによりサブラクセーション(根本原因)が取り除かれたことで、坐骨神経痛のような右お尻のツッパリや右脚全体の痺れの改善に繋がったと考えられる。あらためて神経の流れを整えて体の情報を脳へ届けることの重要性が確認できる症例である。
ランニング中の坐骨神経痛のような右お尻の痛みと右脚全体の痺れ
ランニング中の坐骨神経痛のような右お尻の痛みと右脚全体の痺れ ランニング中の坐骨神経痛のような右お尻の痛みと右脚全体の痺れ ランニング中の坐骨神経痛のような右お尻の痛みと右脚全体の痺れ
前田 一真

執筆者前田 一真

神奈川県藤沢市出身。1972年に塩川満章D.C.が開院した銀座の塩川カイロプラクティック治療室に内弟子として入る。塩川満章D.C.と塩川雅士D.C.に師事し、副院長まで務める。また日本で最も歴史あるカイロプラクティック学校シオカワスクールでは現役講師を務めており、後任の育成にも力を入れている。2023年5月に地元である藤沢の地で、カイロプラクティックの最前線である塩川カイロプラクティック治療室で学んだ本物のカイロプラクティックを提供する院を実現するため、【前田カイロプラクティック藤沢院】を開院。

笑顔溢れ、心豊かに、幸せな毎日をサポートできるようにカイロプラクターとして尽力している。またシオカワグループの一員として、感謝・感動・希望に溢れる社会を目指している。

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