作業事故後の右腕の痺れ、慢性的な腰痛、不眠症、下痢

作業事故後の右腕の痺れ、慢性的な腰痛、不眠症、下痢

事故後の右腕の痺れが解消した!

40代男性
来院に至った経緯
10代の頃から趣味でサーフィンをやっているが、20代前半のときに荒波で腰が反りかえってしまい、そのときから20年以上慢性的な腰痛があった。そのため、昔から整体や針鍼灸院に通うことが多かった。

30代のときに一度だけ整形外科を受診したことがあったが、そのときには脊柱管狭窄症と診断され、腰椎1番が圧迫骨折していると言われた。手術を勧められたが、手術はしたくなかったので断った。

1年前に、仕事の作業中に200㎏ほどあるダクトが上から落ちてきて、左側頭部から左肩にかけて直撃した。意識を失って、気づくと病院のベッドの上だった。ぶつけた左側は強い痛みがあったが、なぜか右腕に痺れを感じるようになった。

レントゲン、MRI、CTとさまざまな検査を受けたが、骨や脳には異常なしと診断された。少しだけヘルニアっぽいところがあるが、気にするレベルではないと言われ、右腕の痺れは事故後の一時的なものだと説明された。

その後は、整形外科内にあるリハビリ施設で首のけん引などを行った。リハビリで首を引っ張ってもらっている間は楽だったが、3か月経っても右腕の痺れが解消されることはなかった。

リハビリの先生からは、「もう3か月経ったからリハビリは来なくて大丈夫です。」と言われた。右腕の痺れがまったく取れていないのに大丈夫ですかと尋ねると、「痺れが残ってしまう人もいます。」とあっさりした説明で終わってしまった。

事故後1か月くらいしてから睡眠の質が悪くなり、お腹も下しやすくなったと説明すると、「それは内科の分野なので内科に行ってください。」と言われた。内科では睡眠導入剤や下痢止めの薬を処方されるだけで、特に何かをしてくれるわけではなかった。

結局、仕事は事故後6か月間休むことになったが、精密検査を受けても異常なしと言われたし、病院ではこれ以上何もしてもらえないと思った。どこか評判の治療院を探そうと思ったとき、YouTubeで塩川満章先生の動画を見る機会があった。

動画を見ると素人目に見てもこれは本物だとすぐに分かった。調べてみると、塩川先生の塩川カイロプラクティック治療室は東京の銀座だったため、仕事も長期間休んでしまって職場の仲間にも迷惑を掛けてしまったし銀座までは何度も通えないなと思った。

近くに塩川先生のお弟子さんとかいないかなと調べてみると、同じ市内で塩川先生の治療院で副院長を務めていたお弟子さんが開院していることを知った。ここなら藤沢駅前で通いやすいし、塩川先生の治療院で副院長を務めていた先生なら間違いないだろうと思い、当院に来院された。


【神奈川県藤沢市から来院】
初診の状態
  • 01

    右仙腸関節の明らかな可動域制限

  • 02

    左後頭部の強い浮腫感

  • 03

    頸部全体の過緊張

経過と内容
初診時の状態では、左後頭骨と右の仙腸関節には明らかな可動域制限があった。体表温度検査では、上部頸椎と骨盤部に明らかに左右の温度の誤差が確認された。また左後頭部と右仙骨翼に強い浮腫が確認され、腰部起立筋と頸部は全体的に過緊張の状態であった。

レントゲン評価では、腰の椎間板の段階は慢性的なD6レベルで重度の骨盤の傾きが確認された。また、整形外科で診断されている通り、腰部は脊柱管狭窄症で激しい椎骨の変性や圧迫骨折が確認された。首の椎間板の段階は慢性的なD6レベルが確認され、首の前弯カーブ(前カーブ)は消失してストレートネックを通り越してスワンネック(逆カーブ)となっていた。

初期集中期の段階では週3回のケアを提示したが、仕事の関係で週1回のケアから開始した。

6週目(6回目のアジャストメント)には、右腕全体に出ていた痺れがかなり軽減してきて、右肩周辺にツッパリを感じるようになった。慢性的だった腰痛も少し楽に感じるようになった。特に仰向けで寝るときの痛みを感じなくなった。

11週目(11回目のアジャストメント)には、右腕の痺れはほとんど感じなくなった。睡眠の質が少し良くなったのか寝入りまでが早くなった。腰痛も仕事が忙しいと張りを感じるものの、痛み自体はかなり軽減された。

18週目(18回目のアジャストメント)には、右腕の痺れはまったく感じなくなった。これまでは睡眠導入剤を飲んでいたが、薬を飲まなくてもすぐに眠れるようになった。この頃には、お腹を下すということもなくなった。この段階でケアのペースを2週間に一度に広げることができた。

30週目(24回目のアジャストメント)には、寝起きがスッキリすると感じるようになり、腰の痛みもほとんど感じなくなった。また、仕事で疲れても一晩眠れば回復していると分かるほど体調が良くなった。

現在は、ほとんどの症状が落ち着いたが、身体のメンテナンスとして定期的なカイロプラクティックケアを続けている。

考察
今回の事故後の右腕の痺れは、左後頭骨の可動域制限が原因であったと考えられる。レントゲン評価では、首の椎間板はD6レベルと6段階中最も慢性的な状態であったが、中部頚椎は触診すると過剰なほど動き過ぎていた。

人間には補正作用があるため、どこかの椎骨の動きが制限されると、どこかの椎骨はバランスを取ろうと過剰に動いてしまう。その結果、首の椎間板が摩耗しているような状態となり、椎間板の厚みが失われてしまう。

人間の痛みの感覚は「正常→痛み→痺れ→麻痺」の順番で進行していくため、痺れとは痛みよりも一つ進行している段階となる。回復過程では逆を辿り、「麻痺→痺れ→痛み→正常」の順番で回復していくが、このとき患部全体が重だるくなったりする。また、痺れが出ている場合にはハッキリとした痛みを感じることが多くみられる。

今回のケースではその兆候が顕著に合わられ、右腕の痺れが弱まってくる過程で右肩周辺にツッパリを感じていた。元々あった制限の部位に事故での外傷が合わさったことで、決定的な制限となってしまったことで、腕に繋がる神経に過度な負担が掛かったと考えられる。不眠症や下痢なども今回の外傷が引き金になったと考えられる。

検査では後頭骨と骨盤部に強い反応があったが、後頭骨と骨盤部はどちらも副交感神経支配の部位となる。副交感神経が上手く機能しなくなったことで、交感神経が過剰に働いてしまい、体は常に過緊張の状態となっていた。

緊張状態が続くことで、睡眠の質が低下して不眠症を発症していたのだろう。下痢は、交感神経が過剰に働くことで、人間が本来持っている排出機能が過剰に働いてしまった結果だと考えられる。

通常、胃腸の動きは副交感神経が優位なときに活発となるが、交感神経が過剰になることでアクセルを踏みっぱなしの状態となり、排出機能が過剰に働き下痢を引き起こしていたと考えられる。

長年あった腰痛は、右仙腸関節の可動域制限が原因であったと考えられる。どちらかの仙腸関節の動きが制限されると、反対側の仙腸関節は過剰に動いてしまい、歩くたびに腰部が捻じられるような状態となってしまう。

椎間板は捻じる動作に弱くできているため、徐々に椎間板が損傷して厚みが失われていき、最終的には脊柱管狭窄症と診断されてしまうほど腰部に負担が掛かり続けていたと考えられる。

事故後の右腕の痺れや20年以上続いた腰痛など筋骨格系の問題以外にも、不眠症や下痢など自律神経症状が出てしまっていたが、アジャストメントによりサブラクセーション(根本原因)が取り除かれたことで、さまざまな症状の改善に繋がったと考えられる。あらためて神経の流れを整えて体の情報を脳へ届けることの重要性が確認できる症例である。
作業事故後の右腕の痺れ、慢性的な腰痛、不眠症、下痢
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前田 一真

執筆者前田 一真

神奈川県藤沢市出身。1972年に塩川満章D.C.が開院した銀座の塩川カイロプラクティック治療室に内弟子として入る。塩川満章D.C.と塩川雅士D.C.に師事し、副院長まで務める。また日本で最も歴史あるカイロプラクティック学校シオカワスクールでは現役講師を務めており、後任の育成にも力を入れている。2023年5月に地元である藤沢の地で、カイロプラクティックの最前線である塩川カイロプラクティック治療室で学んだ本物のカイロプラクティックを提供する院を実現するため、【前田カイロプラクティック藤沢院】を開院。

笑顔溢れ、心豊かに、幸せな毎日をサポートできるようにカイロプラクターとして尽力している。またシオカワグループの一員として、感謝・感動・希望に溢れる社会を目指している。

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