腰部脊柱管狭窄症による腰痛と脚の痺れ

腰部脊柱管狭窄症による腰痛と脚の痺れ

30年苦しんだ腰痛が解消された!

60代男性
来院に至った経緯
仕事は社会人になってから約40年間、百貨店で勤務をしていた。店舗にいる間は姿勢を正していなければならないし、裏方のときはデスクワークに追われることもあった。

時代柄、かなり無茶な働き方をしていた影響か、30年以上腰痛に苦しんでいた。ぎっくり腰も年に2~3回は経験し、そのたびに腰椎コルセットを巻いて日々の業務に取り組んでいた。

いつの間にか、休みの日は整体巡りをすることが趣味となっていた。マッサージやストレッチだけのところもあれば、ボキボキと骨の音を鳴らすようなところもあった。中には気に入って何か月か通ったところもあったが、どこも根本的な解決とはならず、腰痛が解消されることはなかった。

定年を迎えるタイミングで独立しようと一念発起して、インターネットで小売業をすることにした。百貨店勤務のときは、日中かなり歩いていたが、それがほとんどデスクワークばかりとなった。その影響なのか、右脚に痺れを感じるようになった。

右脚の痺れは徐々に強くなり、気づけば右足のつま先まで痺れを感じるようになった。整形外科を受診すると、腰部脊柱管狭窄症と診断された。たしかに素人目に見ても、腰の椎間板の厚みが無くなっているのが分かった。

これまで整体にも頻繁に通っていたのに、ここまで椎間板が薄くなっていれば腰痛も治らないわけだと納得せざるを得なかった。そんなとき、インターネット販売の準備のときにお世話になった経営セミナーの講師の先生から、「ここの先生すごいから行ってごらん」とカイロプラクティックを紹介された。

調べてみると、日本のカイロプラクティックのパイオニアである塩川満章先生という人の元で修業したすごい先生だということが分かった。これまでどこに行っても腰痛が解消されることはなかったが、ここなら根本原因を良くしてくれるかもしれないという思いで当院に来院された。


【神奈川県藤沢市から来院】
初診の状態
  • 01

    右仙腸関節の明らかな可動域制限

  • 02

    右上後腸骨棘上端の強い浮腫感

  • 03

    腰部起立筋の過緊張

経過と内容
初診時の状態では、右の仙腸関節には明らかな可動域制限があった。体表温度検査では、骨盤部と下部腰椎に明らかに左右の温度の誤差が確認された。また右上後腸骨棘上端には強い浮腫が確認され、腰部起立筋は過緊張の状態であった。

レントゲン評価では、腰の椎間板の段階は慢性的なD6レベルで重度の骨盤の傾きが確認された。また、整形外科で脊柱管狭窄症と診断されている通り、腰部の椎間板はすべて消失していた。首の椎間板の段階も慢性的なD6レベルが確認され、首の前弯カーブ(前カーブ)は消失してストレートネックとなっていた。

初期集中期の段階では週3回のケアを提示したが、仕事の関係で週2回のケアから開始した。

4週目(8回目のアジャストメント)には、仕事中の座っている姿勢が楽に感じるようになった。また右足のつま先まで感じていた痺れは、ふくらはぎの辺りまで上がってきた。

6週目(12回目のアジャストメント)には、右脚の痺れが全体的に落ち着いてきて、右脚全体が重だるいと感じるようになった。この段階でケアのペースを週1回に広げることができた。

13週目(19回目のアジャストメント)には、右の太もも裏と右臀部に締め付けられるような痛みを感じるようになった。腰痛も、これまでは腰全体が痛いと感じていたが、一点集中ここというところに痛みを感じるようになった。

20週目(26回目のアジャストメント)には、右脚に出ていた症状はかなり落ち着き、腰痛自体もほとんど気にならなくなった。

現在は、ほとんどの症状が落ち着いたが、身体のメンテナンスとして定期的なカイロプラクティックケアを続けている。

考察
今回の腰部脊柱管狭窄症による腰痛と脚の痺れは、右の仙腸関節の可動域制限が原因であったと考えられる。

骨盤部には左右に一つずつ仙腸関節というものが存在している。人間には必ず補正作用があり、どちらかの仙腸関節の動きが制限されると、反対側は過剰に動いてしまう。

それによって、日常生活で歩くたびに腰部の椎間板が捻じられてしまうような状態となる。椎間板は捻じる動作に弱くできているため、徐々にその厚みが失われていき、最終的には脊柱管狭窄症と診断されてしまうほど椎間板の厚みは消失してしまう。

今回のケースでは顕著にその過程を辿った結果、腰部の椎間板はすべて消失してしまった。ただし、椎間板が脊柱管狭窄症と診断されてしまうほど薄くなっていたとしても、それが腰痛や脚の痺れと直接的な原因ではなく、あくまでも結果である。

一度、失われてしまった椎間板の厚みは元には戻らないが、今回のように整形外科で脊柱管狭窄症と診断されるほど椎間板の厚みが失われていたとしても、神経は必ず回復するようにできている。

人間の痛みの感覚は「正常→痛み→痺れ→麻痺」の順番で進行していき、回復過程では「麻痺→痺れ→痛み→正常」の順番で回復していく。また、その回復過程では患部全体が筋肉痛のような重だるさを感じることもあるが、今回のケースでは顕著にその過程を辿っていった。

痛みや痺れを感じているのは、「今、体に負担が掛かっていますよ」と教えてくれている体から脳へのSOSのサインとなる。人間の体は、問題の根本原因に対してアプローチをすれば、神経は必ず回復するようにプログラムされている。

重要なことは、腰部の椎間板がそれほど厚みが失われてしまうほどの負担がどこから掛かっていたのかを特定する検査力があるかどうかである。それには、体表温度検査やレントゲン評価といった科学的で客観的な検査法を用いているのかどうかも重要になってくる。

検査によって問題となっている神経系を特定し、アジャストメントによりサブラクセーション(根本原因)が取り除かれたことで、脊柱管狭窄症による腰痛や脚の痺れの改善に繋がったと考えられる。

30年以上続いた腰痛だったとしても、神経の流れを整えて体の情報を脳へ届けることの重要性が確認できる症例である。


※神経は回復したとしても、一度失われてしまった椎間板は元には戻りません。脊柱管狭窄症と診断される前に、早めのカイロプラクティックケアを推奨します。
腰部脊柱管狭窄症による腰痛と脚の痺れ
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前田 一真

執筆者前田 一真

神奈川県藤沢市出身。1972年に塩川満章D.C.が開院した銀座の塩川カイロプラクティック治療室に内弟子として入る。塩川満章D.C.と塩川雅士D.C.に師事し、副院長まで務める。また日本で最も歴史あるカイロプラクティック学校シオカワスクールでは現役講師を務めており、後任の育成にも力を入れている。2023年5月に地元である藤沢の地で、カイロプラクティックの最前線である塩川カイロプラクティック治療室で学んだ本物のカイロプラクティックを提供する院を実現するため、【前田カイロプラクティック藤沢院】を開院。

笑顔溢れ、心豊かに、幸せな毎日をサポートできるようにカイロプラクターとして尽力している。またシオカワグループの一員として、感謝・感動・希望に溢れる社会を目指している。

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