不妊症(生理痛、生理不順、子宮内膜症、腰痛、反り腰、ストレートネック、首が動かない)

不妊症(生理痛、生理不順、子宮内膜症、腰痛、反り腰、ストレートネック、首が動かない)

まさかカイロプラクティックで妊娠できるとは思っていなかった!

40代女性
来院に至った経緯
28歳で結婚して、それから約12年間妊活を続けている。30歳からはタイミング法を取り入れて妊活をしたが妊娠には至らなかった。32歳からは本格的に不妊治療を開始した。最初は排卵誘発薬を使用しながらタイミング法を行ったが、妊娠には至らず。

その後、人工授精や体外受精を試みたが、着床までは行かなかった。卵胞の数も少ないと言われ、本格的な不妊治療を始めてから約7年間頑張ったが、妊娠することができなかった。40歳を迎えても妊娠しなかったら子供を授かることは諦めようかと夫婦で話し合っていた。

中学生の頃から生理痛や生理不順といった婦人科系の症状で悩んでおり、35歳のときには子宮内膜症と診断されて、余計に妊娠しにくい状態だと病院の先生からは説明された。不妊治療の医療費は毎月莫大な金額となり、家計をどんどん圧迫していった。

22歳で社会人になってからは腰痛もあり、歩けないほどのぎっくり腰も過去3回ほど経験していた。年々、仕事中に座っていることが辛くなり、会社にお願いしてスタンディングデスクを用意してもらった。ただし、元々反り腰も気になっていたため、立ちっぱなしは立ちっぱなしで腰が反ってきてしまうような気がして、座り姿勢と立ち姿勢を交互に繰り返して対処していた。

40歳を迎える1か月前、首を寝違えてしまったのか右後ろが向けなくなってしまった。車の運転をするにも右後方が向けなくて怖かったので、近所にあった整体院に行ってみた。その初回の施術で、首を3回くらいバキバキとやられると、首がまったく動かなくなってしまった。

帰りは車を運転することもできないほど首が動かなくなってしまい、ご主人は仕事中だったため、運転代行サービスを呼んで車を自宅まで運んでもらった。そのまま整形外科を受診してレントゲンを撮ってもらったが、ストレートネックと診断されただけで、それほど異常はないので様子を見ましょうと言われた。

40歳までの残り1か月、最後の妊活に向けて頑張ろうとしていたのに、妊活どころか首が動かなくなって日常生活にも支障をきたすようになってしまった。まずは首を治さないと妊活どころではないと思ったが、首をバキバキされるような整体院に行くのはもう怖かったのでどこへ行ったらいいのか迷っていた。

そんなときご主人が当院のHPを見つけて、ここの先生はYoutubeで有名な塩川満章先生のお弟子さんみたいだから行ってみようということになった。カイロプラクティックは一度も受けたことがなかったが、有名な塩川先生のお弟子さんなら首も治してくれるだろうと期待されて、当院へ来院された。


【神奈川県藤沢市鵠沼海岸から来院】
初診の状態
  • 01

    左仙腸関節の明らかな可動域制限

  • 02

    左仙骨翼の強い浮腫感

  • 03

    頸部胸鎖乳突筋の過緊張

経過と内容
初診時の状態では、左の仙腸関節には明らかな可動域制限があった。体表温度検査では、骨盤部と上部頸椎に明らかに左右の温度の誤差が確認された。左仙骨翼と左後頭部に強い浮腫が確認され、腰部起立筋と頸部胸鎖乳突筋は過緊張の状態であった。また首は全体的に熱を持っている状態で急性炎症のような状態であった。

レントゲン評価では、腰の椎間板の段階は慢性的なD6レベルで重度の骨盤の傾きや過前弯で反り腰が確認された。首の椎間板の段階はそれほど慢性的なところは確認されなかったが、首の前弯カーブ(前カーブ)は消失してストレートネックとなっていた。

初期集中期の段階では週3回のケアを提示したが、仕事の関係で週2回のケアから開始した。

1週目(2回目のアジャストメント)には、首の炎症が少し落ち着き、まったく動かなくなっていた首の可動域が戻ってきた。

2週目(4回目のアジャストメント)には、首の可動域は痛める前の状態まで回復した。また仕事中の腰痛が明らかに楽だと感じるようになった。

3週目(6回目のアジャストメント)には、首の痛みは一切感じなくなり、車の運転中も何の不安もなくなった。この段階でケアのペースを1週間に一度に広げることができた。

8週目(11回目のアジャストメント)には、生理痛がいつもより軽いなと感じるようになった。また不妊治療のクリニックでは、いつもよりも卵胞の数が多いと言われた。

16週目(19回目のアジャストメント)には、これまで何度トライしても着床しなかった不妊治療だったが、体外受精からの着床に成功した。

その後、出産直前の臨月までカイロプラクティックケアを続け、無事に出産することができた。年齢から高齢出産と判断されて、帝王切開での出産となったが、出産後も身体のメンテナンスとして定期的なカイロプラクティックケアを続けている。

考察
今回の不妊症は、子宮や卵巣と脳を繋ぐ神経機能に異常をきたしていたことが原因であったと考えられる。

子宮は骨盤から繋がる3本の強靭な靭帯で支えられており、例えるなら空中につるされているハンモックのような状態になる。骨盤の配列の乱れは、子宮を支えている靭帯の捻じれに繋がってしまう。

大人でも捻じれているハンモックの上に寝る作業は困難となる。それが赤ちゃんともなれば不可能といってもいいだろう。今回のケースでは、患者は中学生から生理痛や生理不順のような婦人科系を発症していたが、これは女性ホルモンの分泌が関係していると考えられる。

女性ホルモンのエストロゲンやプロゲステロンは卵巣から分泌されている。卵巣に限らず、体の各ホルモン分泌器官は神経を介して脳と繋がり、体内のホルモンバランスを調節されている。検査では骨盤部と上部頸椎というどちらも副交感神経支配の部位に強い反応があったことからも、交感神経が過剰に働き自律神経のバランスを乱していたと考えられる。

女性ホルモンが正しく分泌されていないと、今度はプロスタグランジンという物質が大量に分泌されてしまう。プロスタグランジンの作用として、妊娠せずに不要になった子宮内膜や経血を体外へ排出させる作用があるが、このときにプロスタグランジンが分泌過多になっていると子宮が過度に収縮してしまい過剰な生理痛を引き起こしてしまう。

生理は女性にとって月に一度の体内のお掃除である大切なものであるが、中学時代から生理不順があったことを考えると、長期間に渡って女性ホルモンが正しく分泌していなかった可能性もある。女性ホルモンが正しく分泌されていないと、子宮内膜も赤ちゃんが着床するのに十分な厚みを保てなくなってしまう。

慢性的な腰痛もあったが、腰部の椎間板の段階は6段階中6段階と最終段階まで進行してしまっていた。椎間板は玉ねぎのように線維輪状になっているため、捻じれの動作に弱くできている。左右の仙腸関節が正しく可動していないと、補正作用によってどちらか片方の仙腸関節だけが過剰に動いてしまい、椎間板に過度な捻じれの動作が加わり厚みは減少してくる。

その椎間板の厚みが最終段階まで進行していたということを考えると、長期間に渡って骨盤部の配列に乱れがあったことを意味している。それによって、子宮にも過度な負荷が掛っていたと考えられる。

車の運転に支障が出るほどの首の可動域制限もあったが、こちらは単に炎症期に無理な施術を受けてさらに炎症してしまっただけだったので、改善までにはそれほど期間は掛からなかった。

アジャストメントによりサブラクセーション(根本原因)が取り除かれ、骨盤部の配列や子宮や卵巣を脳と繋いでいる神経機能が正しく働いたことで、不妊治療の手助けになれたのだと考えられる。

タイミングだと言ってしまえばそれまでだが、合計約12年間妊活をしていても妊娠できなかった40歳の女性が、カイロプラクティックケアを開始してから4か月で妊娠、そして出産ができたことを考えると、神経の流れを整えて体の情報を脳へ届けることの重要性が確認できる症例である。
不妊症(生理痛、生理不順、子宮内膜症、腰痛、反り腰、ストレートネック、首が動かない)
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前田 一真

執筆者前田 一真

神奈川県藤沢市出身。1972年に塩川満章D.C.が開院した銀座の塩川カイロプラクティック治療室に内弟子として入る。塩川満章D.C.と塩川雅士D.C.に師事し、副院長まで務める。また日本で最も歴史あるカイロプラクティック学校シオカワスクールでは現役講師を務めており、後任の育成にも力を入れている。2023年5月に地元である藤沢の地で、カイロプラクティックの最前線である塩川カイロプラクティック治療室で学んだ本物のカイロプラクティックを提供する院を実現するため、【前田カイロプラクティック藤沢院】を開院。

笑顔溢れ、心豊かに、幸せな毎日をサポートできるようにカイロプラクターとして尽力している。またシオカワグループの一員として、感謝・感動・希望に溢れる社会を目指している。

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