腰痛、坐骨神経痛、右脚の痺れ、脊柱管狭窄症、足がよくつる

腰痛、坐骨神経痛、右脚の痺れ、脊柱管狭窄症、足がよくつる

手術なしで長年の腰の痛みから解放された!

70代女性
来院に至った経緯
40年以上前から慢性的に腰痛があった。そのため、昔から藤沢市内はもちろん、神奈川県内のありとあらゆる整体に通ったが、腰痛が解消されることはなかった。

整体、針鍼灸院、マッサージ、オステオパシーとありとあらゆる治療院に通ったが、腰痛が解消されることはなかった。整形外科にも定期に行ってレントゲンを撮っていたが、その度に椎間板の厚みが薄くなっていますねと言われては、痛み止めを処方されるだけだったので病院には行かなくなった。

1年くらい前から坐骨神経痛のような症状が出て、右お尻に激しい痛みと右脚全体が痺れるようになった。いつもとは違う大きな病院の整形外科を受診すると、脊柱管狭窄症と診断されて手術するしか治療法はないと言われた。

この頃には、寝起きは20分程動くことも困難になり、夜中には頻繁に足がつって起きてしまうようになっていた。また、中学生くらいから両脚が冷たいと感じており、大学生になってからはスカートを履いた記憶がないほど、脚を冷やさないようにしていた。

これまで長年、整体などに通って整形外科でレントゲンも撮ってきたのに、大きな病院を受診したらいきなり脊柱管狭窄症で手術しかないと言われたことにショックを受けた。日に日に歩くことも大変になり、少し歩けば痺れが強くなり歩けなくなってしまった。普段の買い物に行くにも恐る恐る歩いて行くようになった。

そんなとき大学時代の友人と再会する機会があった。その友人も長年腰痛があったが、銀座の塩川カイロプラクティック治療室というところに通って良くなったと話を聞いた。ただ、このときには長時間歩くと右脚の痺れが止まらなくなってしまうような状態だったため、とても銀座までは通えないと伝えると、その友人の担当だった前田先生が藤沢駅前で開業したと教えてもらった。

これまで藤沢市内にある整体は行きつくしたと思っていたが、たまたま再開した学生時代の友人が通っていた銀座の治療院の担当の人が、自分が住んでいる藤沢で開業するなんて運命だと思い、紹介という形で当院に来院された。


【神奈川県藤沢市から来院】
初診の状態
  • 01

    右仙腸関節の明らかな可動域制限

  • 02

    右上後腸骨棘上端と腰椎5番の強い浮腫感

  • 03

    腰部起立筋と殿筋の過緊張

経過と内容
初診時の状態では、右の仙腸関節と腰椎5番には明らかな可動域制限があった。体表温度検査では、骨盤部と腰椎5番に明らかに左右の温度の誤差が確認された。また右上後腸骨棘上端と腰椎5番に強い浮腫が確認され、腰部起立筋は過緊張の状態であった。

レントゲン評価では、腰の椎間板の段階は慢性的なD6レベルで重度の骨盤の傾きや腰部側弯が確認された。首の椎間板の段階も慢性的なD6レベルが確認され、首の前弯カーブ(前カーブ)は消失してストレートネックを通り越してスワンネック(逆カーブ)となっていた。

腰も首も椎間板はすべて消失しているような状態で、整形外科で診断されていた通り脊柱管狭窄症の状態だった。また、腰部には強い炎症が起こっている状態だったため、初期集中期の段階では週3回のケアから開始した。

2週目(6回目のアジャストメント)には、腰部の炎症は落ち着き、歩けないほどの腰痛は解消された。また寝起きの腰痛は少しずつ解消されてきた。

5週目(15回目のアジャストメント)には、右脚全体に出ていた痺れが徐々に弱まってきた。家の中で階段の上り下りが楽になってきた。20分程度なら歩いても痺れは出なくなっていた。この段階でケアのペースを週2回に広げることができた。

12週目(28回目のアジャストメント)には、中腰の姿勢など負荷の掛かる姿勢を取らなければ、我慢できないほどの腰痛はなくなってきた。この頃には長時間歩いていても脚の痺れは感じなくなった。この段階でケアのペースを週1回に広げることができた。

24週目(36回目のアジャストメント)には、寝起きの腰痛や脚の痺れはほとんど感じなくなった。またキンキンに冷え切っていた両脚に血流が戻ってきて、本人も子供のころ以来、足が温かいと感じるようになった。

現在は、ほとんどの症状が落ち着いたが、身体のメンテナンスとして定期的なカイロプラクティックケアを続けている。

考察
今回の腰痛は、整形外科でも診断された通り脊柱管狭窄症が関与しているが、そもそも脊柱管狭窄症になってしまった原因を考える必要がある。

検査では右仙腸関節の動きが完全に制限されているような状態であった。反対に左の仙腸関節は過剰なほど動いており、それによって歩くたびに腰部の椎間板に捻じれが発生して椎間板の厚みが徐々に減少していったと考えられる。

よって今回のそもそもの根本原因は、脊柱管狭窄症ではなく右仙腸関節の可動域制限が原因であったと考えられる。また、検査では腰椎5番の炎症が激しく右仙腸関節と同時に腰椎5番に対してもアプローチを行った。

通常、それほど慢性的ではない場合、仙腸関節の問題が解消されると腰痛自体も解消されるケースが多くみられるが、今回のケースでは脊柱管狭窄症と診断されてしまうほど椎間板の厚みが減っていたため長期間に渡って腰部の神経にも負荷があったと考えられる。

脚の痺れも出ていたが、人間の痛みの感覚は「正常→痛み→痺れ→麻痺」の順番で進行していく。回復過程では逆に「麻痺→痺れ→痛み→正常」の順番で回復していく。今回のケースでも顕著にその過程を辿った。

足が頻繁につってしまう問題も、骨盤部や腰部からの神経が関与している。下半身だけがキンキンに冷え切っていたことも考えると、下肢への血流異常も起こっていたと考えられる。血流は血管の拡張/収縮によってコントロールされているが、血管の拡張/収縮をコントロールしているのが神経となる。

腰部や骨盤部の神経に異常をきたしたことで、下肢へと繋がる血管の拡張/収縮にも異常をきたし、下肢の冷えや足が頻繁につってしまうといった症状を発症していたと考えられる。

アジャストメントによりサブラクセーション(根本原因)が取り除かれ、腰部や骨盤部の神経が回復した結果、40年以上あった腰痛の改善に繋がったと考えられる。あらためて神経の流れを整えて体の情報を脳へ届けることの重要性が確認できる症例である。
腰痛、坐骨神経痛、右脚の痺れ、脊柱管狭窄症、足がよくつる
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前田 一真

執筆者前田 一真

神奈川県藤沢市出身。1972年に塩川満章D.C.が開院した銀座の塩川カイロプラクティック治療室に内弟子として入る。塩川満章D.C.と塩川雅士D.C.に師事し、副院長まで務める。また日本で最も歴史あるカイロプラクティック学校シオカワスクールでは現役講師を務めており、後任の育成にも力を入れている。2023年5月に地元である藤沢の地で、カイロプラクティックの最前線である塩川カイロプラクティック治療室で学んだ本物のカイロプラクティックを提供する院を実現するため、【前田カイロプラクティック藤沢院】を開院。

笑顔溢れ、心豊かに、幸せな毎日をサポートできるようにカイロプラクターとして尽力している。またシオカワグループの一員として、感謝・感動・希望に溢れる社会を目指している。

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